和医術ゴミ理論(超簡略編)

結論から言うと、慢性病の問題は、実は「ゴミ問題」だったのです。

世間では「私は○○で治った」「誰々も○○で治った」というような宣伝文句をたびたび見聞きします。それが事実であれば確かに参考にはなりますが、医療に於いてはその個人的な体験は大きな価値とはなり得ません。

つまり医療と云う社会的テーマで考える場合には、個々人の主観体験ではなく、人類が共通して持てる客観性ある事実でなければ価値はないのです。

私も自分の病気がきっかけで様々なことに気付きました。多くの疑問を抱き、その疑問を興味に変えて、解答を求めてきました。

なぜ痛みがとれたのか?
なぜ治ってしまったのか?

そして

この痛みの原因は何だったのか?
この病の原因は何だったのか?

自らの体はもちろん、多くの方々の体を借りて、様々な病名と向かい合って、実験と確認を続けてきました。

やがて病者の持つ共通点を見つけることができました。

その共通点に関して詳細に調べ上げるのに、さらに何年かを要しましたが、今は一応の結論を導き出すことができたように思います。

行き着いた結論とは

慢性病・慢性疼痛の原因は、体内の「ゴミ」であった

慢性病の問題は、実は「ゴミ問題」だったのです。
これは客観性ある事実です。

科学的思考は、物理界だけではなく非物理界にも当てはまる、素晴らしいものです。

私も欧米追従的な教育を受けた身ですから、若い頃は医療イコール西洋式医学であって、医療は病院、病気になったら病院、というのが当たり前の観念でした。疑問どころか、信用するとかしないとかいう以前のことで、それが社会の絶対的空気だったわけです。

ですから、病院医療が完全ではないという事実はとても衝撃的で残念なことでした。さらにその後、多くの現代人の、特に日本人の体内環境汚染状況を観るにつけ、今の西洋式医学思考だけではとても萬病を片付けることは出来ないと思い知らされたのです。

そこで思い立ちました。

そうだ!
今の西洋式医学とこの「ゴミ理論」を合わせればいいのだ。

西洋式医学と、元来人間そのものに備えられている自然治癒力の本体技であるところの日本式和医術の「ゴミ理論」とを合わせることで、日本式西洋式医学となれば、慢性病で苦悩する人々が激減していくような時代がやってくるに違いない!

是非、多くの方々に和医術を知っていただき、西洋式医学と合わせるとどう活用ができるのか、皆様それぞれの立場でお考えいただきたいと思います。

では、「和医術ゴミ理論」をごくごく簡単に説明いたしましょう。

和医術ゴミ理論 目次

1,慢性病・慢性疼痛の根本原因は体内の「ゴミ」だった

ここでいう「ゴミ」は、その名のごとく体内で不要となった物質のことで、和医術では、これらを総称して「ゴミ」と呼んでいます。

体内では、呼吸や食べ物により生命の維持に必要なエネルギーや物質が生成されていますが、同時に「ゴミ」、つまり不必要な物質も造られています。

一般に老廃物・疲労素・体内毒素などと言われているもので、脂肪、塩化カルシウム(石灰質)、タンパク質や白血球・赤血球など血球の死骸やそれらの変質物、その他の異常化合物などですこれは皆さん、学校で習いましたね。

そして人体にはその「ゴミ」を片付ける機能もちゃんと備わっています。体内各所で不要になった「ゴミ」は静脈に乗って肝臓や腎臓を経て尿として排泄される。その他、便や垢、汗、呼気や屁など、様々な方法で体の外に放出されています。これも学校で習いました。

人間の体は実に完璧に出来ているのです。

しかし何らかの理由で、その「ゴミ」は通常の排泄ルートに乗れずに、体内に溜まってしまうことがあるようです。

少しずつ溜まった「ゴミ」は、少しずつ体の機能を狂わせていき、さらに「ゴミ」を溜め込むようになるという悪循環を起こします。この悪循環こそが、慢性病の始まりだと、和医術では考えています。

体内の「ゴミ」が体調不良と関連性があることは一般的に言われていますが、「ゴミ」が直接の原因であるとは、学校では習いませんでした。

しかし和医術では、慢性病の物理的根本原因は体内の「ゴミ」だと明言します。これは私自身の病気治しと、多くの方々の体を借りて確認に確認を重ねてきた私の結論です。

※慢性病の定義については和医術とは何か?を参照してください。

2,和医術が観る体内「ゴミ」の実態

まずは私が体内に観ている「ゴミ」の実態をお話ししていきましょう。

2-1,「ゴミ」は形態変化し、成熟していく

「ゴミ」には気体・液体・固体の3形態があります。

【図-1】ゴミの形態

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和医術ではこのような段階の「ゴミ」を確認しながら施術しているわけですが、これらの前駆段階は、西洋式医学で確認している分子・細胞レベルの「ゴミ」と繋がっているものと考えます。

「気体ゴミ」領域は、形としては西洋式医学でないと確認はできません。和医術においては臭い(臭化物)で確認していますが、それでも施術効果を上げることは出来ています。しかし出番は希少です。

「液体ゴミ」領域は、胸水・腹水や膝に水が溜まるなどの滲出性疾患、浮腫、腫れ物の形成などの液体疾患の「ゴミ」が該当します。

それ以外の、液体から固体への過程(中間段階)、固体から硬骨化までの過程(終末段階)が和医術で確認できる「ゴミ」の範囲です。体内に見受けるこれらの視界は、裸眼で見える範囲とほぼ同じです。

さらに液体・固体、それぞれの形態の中においても、それぞれ質感の違いがあります。これは「ゴミ」の成熟過程によるものと、「ゴミ」の原材料によるものとがあると思われます。

「ゴミ」の中には、骨とまったく変わらないくらいに硬く堅固な構造物へと成長するものもあります。一般に骨化と言われるものです。

例えばガン腫瘍も硬く堅固な物体ですが、骨化に比べるとやや粘り気があります。その分、骨化より溶解しにくいわけですが、施術する側としては、溶解後の後始末を考えるとガン腫瘍の方が骨化よりも簡単だと言えます。いわばガン腫瘍の硬度は鉄で、骨化は鋼鉄ということになりましょうか。

「ゴミ」の形態として骨化以上の硬化物はありません。つまり骨化が「ゴミ」の行き着く最終過程と思われますので、この領域を「ゴミ」の終末段階と呼んでいます。

※胆管結石・尿管結石等も終末段階の「ゴミ」硬化物ですが、それらについてはここでは省略します。

いずれにしても「ゴミ」は、液体あるいは微粒子状態から固形化方向へと、形態を変えながら成熟しているものと考えています。

2-2,「ゴミ」は膜と膜の間に集まり、流れ、堆積する

人体は、臓器も骨も筋肉も全てが膜で包まれています。皮膜、筋膜、腹膜、隔膜、硬膜、など様々な膜がありますが、「ゴミ」はこれら体内の膜と膜の間に集まり、一定方向への流れをつくっていると考えています。

和医術では、この膜と膜の間を通路に見立てて、「ゴミ」の「排出路」と呼んでいます。

「排出路」の流れには、上から下へ、内側から外側へなど一定の法則があり、また各所に大小の一時滞留場や流れを調節する逆流門が設けてあるようです。

これらについてはここではふれずに進みますが、このような「排出路」の構造を知れば知る程、人体はなんと完璧に造られているのかと、ただ驚かされている次第です。

2-3,「ゴミ」は「排出路」(膜と膜の間)を流れながら「玉(ぎょく)」や「玉道管(ぎょくどうかん)」を形成する

「ゴミ」の大量発生状態が継続すると、細胞間質にあふれた「ゴミ」は膜と膜の間、つまり「排出路」に流れ込み、成熟しながら体内で様々な形を造作するようです。

息を吹きかければ飛ぶような微小な1粒1粒が、「排出路」を流れながら互いに集まり、くっつき合い、凝集・凝縮して造形物を造っていくのです。

その造形物の代表的なものに、「玉(ぎょく)」と「玉道管(ぎょくどうかん)」がありますので、ご紹介しておきましょう。

※「玉(ぎょく)」、「玉道管(ぎょくどうかん)」は和医術の造語です。

玉(ぎょく)

全ての固形「ゴミ」の元の形は球形です。

小麦粉のようなパウダー状の小さな粒からピンポン球のような大きなもの迄、個々、一つ一つ全て玉の形をしています。これが膜と膜の間を流れながら凝集して、直径1ミリに、1.5ミリに、10ミリにと、大小それぞれの集積によって更に大きな玉状の形を造っていくようです。

和医術ではこの凝集して球形を造っている「ゴミ」を「玉(ぎょく)」と呼んでいます。「玉」には単体もあれば集合体もあります。

【図-2】「ゴミ」と「玉」と「玉」の集合体

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「玉」が成長する様子は、小さな雪の塊を雪の積もった高い斜面から転がすと、次第に回りの雪を集めて大きな玉になっていく様子と似ています。

私が体験した中で、「玉」として一番大きかったものはピンポン玉ほどもありました。そのお話しは治験例5に取り上げましたので是非お読み下さい。

整形外科領域の病気には、微粒子「玉」が集まって岩棚のような形を造っている状態や、骨の周囲に凝集し硬く付着しているような状態がよく観られます。

骨と骨との節々や、筋肉の始まりや終わりの部分、連結・接合部分は「玉」の溜まり易い場所です。これらは骨・軟骨・靭帯・腱・筋肉等の痛みやしびれの原因となり易い部位でもあります。

玉道管(ぎょくどうかん)

そしてもう一つの代表的形態が「玉道管」です。

「ゴミ」は「排出路」を流れながら、次第に特定箇所に集まり停滞し、詰まり、ヒモ状に固まって、太くなっていくようです。糸やヒモやロープのような形の造作物ですから、「玉道管(ぎょくどうかん)」と呼んでいます。

管とはいっても、血管のように中空の管ではなく、粘土質や小玉「ゴミ」が混合し、中身の充実したものが管状に連なっているもので、縫い糸よりも細い物から、より太いもの、短いもの、長いものと様々な形態があります。

【図-3】「玉道管」の形態

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健康であれば、もちろんこのような「玉道管」はないのですが、悪条件が重なり、「玉道管」が出来始めると、例えば【図-4】のようにはり巡らされていきます。

【図-4】「玉道管」

それでもまだ整っています

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こうなると患部では血流障害などが発生しています。さらに悪化し、痛みなどの症状が出ている時の「玉道管」は、【図-5】のように引きつり互いに絡み付き、流動性がなくなっています。

【図-5】激しい痛みがあるときの「玉道管」

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「玉道管」の形態や形成される場所に関しては、もちろん統計的に多い部位というのはありますが、各人の骨格の形と筋付着のあり方や筋肉量・体含水率によっても異なり、またそれぞれの姿勢や日常生活の動きの癖、運動なども大きな要因となっているようです。

これは嵐の後の海岸に例えると分かり易いかと思います。穏やかなべたなぎの海上に「ゴミ」がプカプカと沢山浮かんでいる情景を思い浮かべてください。

そのような海に豪雨と強風が吹き荒れるとどうなるでしょう。今まで海上は穏やかで、「ゴミ」もプッカプッカと海上いっぱいに散乱して浮かんでいたわけですが、一変、海上は高波となって荒れ狂い、波は浜辺の奥深くまで打ち上げ、寄せては引いてをくり返しました。昨日まではゴミ一つない程のきれいな砂浜だったのに、今朝は帯状の「ゴミ」の山が長く長く遠方まで出現している。

ハテこれは誰の仕業?

と考えてみたら、海の波の仕業に違いない。

人体内でも同じ事が起こっているのです。人間の動きは波です。その波に乗った「ゴミ」が寄せては引いてを繰り返すうちに「玉道管」が出来上がってくるのだと考えています。面白いことに、全ての「玉道管」が、まっすぐな一直線状ではなく、穏やかなカーブを描いた波形になっています。このような波形の様子は、樹木の切り株に見受ける年輪ともよく似た光景です。

いずれにしても「玉道管」が太く硬く複雑になっていくのは「ゴミ」が多過ぎるからです。健康な人ほど「玉道管」が少ないのは確かなことで、内科的慢性病を持つほとんどの方の体には、異常な程に「玉道管」がはり巡らされています。

2-4,「玉(ぎょく)」や「玉道管(ぎょくどうかん)」が神経系・血管系を狂わせ、不快感や痛みとなる

このように「ゴミ」が膜と膜の間、つまり「排出路」内に「玉」や「玉道管」を形成するようになると、周囲の血管や神経を圧迫し、人体に悪影響を及ぼすようになっていきます。

この構造が慢性病・慢性疼痛の根本原因となっているものです。

その様子を骨格筋を例にとって見てみましょう。

【図-6】正常な筋肉皮膜層です。「ゴミ」がなく、きれいな状態です。

「ゴミ」が溜まっていない骨格筋

【図-7】正常な筋肉皮膜層の水平断面図

「ゴミ」が溜まっていない筋束断面図

「ゴミ」が筋肉内に発生して堆積をはじめると、筋肉の一番外側にある「排出路」(筋膜と膜との間)に流れ込みます。この時点ではまだ悪症状は発生しません。

「排出路」内に溜まった「ゴミ」の量が増え続けると、「玉(ぎょく)」や「玉道管(ぎょくどうかん)」が形成され、それが方々にはり巡らされていきます。

【図-8】「玉」が重なり合って堆積し、神経系を阻害している様子です。

「玉ゴミ」が溜まって神経・血管を圧迫している骨格筋

【図-9】「玉道管」が鎖(くさり)のように絡み付き、神経系を圧迫している様子です。

「玉道管」に縛りあげられ、神経や血管が圧迫されている状態の骨格筋

「玉道管」は、通常の「玉」よりは柔軟性があるため、その分、神経系や血管系をがんじがらめに縛り上げる性質があるようです。

【図-10】「玉」や「玉道管」が絡み付いた筋束の水平断面の状態はこうなっています。

「玉」や「玉道管」により機能を阻害されている筋束断面の様子

【図-7】と比較してみてください。

こうなってくると、その部位の筋繊維・筋膜・神経系・血管系が刺激され、あるいは圧迫を受け、正常な働きが阻害されはじめ、4者の情報伝達がうまくいかず混乱を起こします。その結果としてついに神経終末にスイッチが入り、痛み物質などが分泌され、ついに発症となります。

【図-11】発症時の神経端末

ついに痛み物質を放出する神経端末

症状が出た段階で(図-11)病院で検査を受けると、痛みの原因物質などが確認されますから、病院ではこの物質の抑制がなされることになるわけです。

続いて、「玉」や「玉道管」が実際にどのように患部に堆積しているのかを、いくつかの病名別に見ていただきましょう。

2-5,病名別「ゴミ」の堆積実態例

【図-A】眼瞼痙攣・眼瞼下垂・サルコイドーシスに見られる「ゴミ」

眼瞼痙攣発症時の顔面・頭部に渡る「ゴミ」の実況

【図-B】緊張型頭痛に見られる「ゴミ」

緊張型頭痛に見られる頭部の「ゴミ」と「玉道管」

【図-C】偏頭痛に見られる「ゴミ」

偏頭痛に見られる頭部・顔面の「ゴミ」の実況

【図-D】群発頭痛に見られる「ゴミ」

群発頭痛に見られる頭部の堆積ゴミの実況

【図-E】顔面神経痛に見られる「ゴミ」

顔面神経痛(三叉神経痛・顔面痙攣)に見られる「ゴミ」の蓄積

【図-F】頸椎後縦靭帯骨化症に見られる「ゴミ」

頸椎後縦靭帯骨化症に見られる「ゴミ」の実況

【図-G】腰痛症に見られる臀部の「ゴミ」

腰痛症の場合に見られる臀部の「ゴミ」の実況

【図-H】線維筋痛症に見られる頭部顔面の「ゴミ」

線維筋痛症に見られる「ゴミ」の実況

このように、「ゴミ」が堆積していく場所と「ゴミ」の量と質によって、様々な箇所に、様々な症状が発生することになります。病院ではそれぞれに様々な病名が付けられているわけですが、どれもその根本原因は「ゴミ」なのです。

なお、これらのイラストは「ゴミ」「玉(ぎょく)」「玉道管(ぎょくどうかん)」を簡略に表した平面図です。実際には断層があり、多重立体構造となっています。ここでは、体内の「ゴミ」のイメージを掴んでいただければよろしいので、単純化した平面図で掲載致しました。

3,「ゴミ」を可逆分解させれば慢性病は解消する

3-1,慢性病の物理的原因は中間段階から終末段階に至る過程の「ゴミ」である

西洋式医学で確認できる「ゴミ」と和医術で確認できる「ゴミ」との領域を考えてみると、面白い事がわかります。

【図-12】西洋式医学で確認できる「ゴミ」領域と和医術で確認できる「ゴミ」領域

和医術と西洋式医学、それぞれで確認できるゴミ領域

現在、西洋式医学において確認できている「ゴミ」には、脂肪、塩化カルシウム(石灰質)、タンパク質や白血球・赤血球など血球の死骸やそれらの変質物、その他の異常化合物などがあります。

これらはどれも分子・細胞レベルの「ゴミ」です。

顕微鏡の世界で科学的に確認できているわけで、そこが西洋式医学の素晴らしいところです。さらに研究が進めば、これら分子・細胞レベルでの「ゴミ」は今後も無数に発見され続けていくことでしょう。

一方、和医術においては、西洋式医学のように「ゴミ」を分子・細胞レベルで確認することはできません。私の指先で確認できる「ゴミ」は、裸眼で見えるのと同様の範囲が主なもので、液体から固形化への過程(中間段階)と、固形化から硬骨化までの過程(終末段階)の「ゴミ」です。

西洋式医学においては、初期段階の分子・細胞レベルの「ゴミ」と中間段階のほんの一部(太い血管や中腔組織などの内腔ゴミ)、そして終末段階の成熟を完了し硬骨化している密度の高い「ゴミ」のこれまたほんの一部に対しては、その存在が確認できていますから、それらについては薬物や外科的手法で対処できています。

しかし中間段階から終末段階に至る過程の「ゴミ」に対しては注視していません。

この西洋式医学が注視していない領域にある「ゴミ」こそが、慢性病の根本原因なのです。「玉(ぎょく)」や「玉道管(ぎょくどうかん)」へと成長した「ゴミ」が血管系・神経系を圧迫し、不調をもたらしているわけです。

3-2,どの段階の「ゴミ」でも消すことができる

無限種あるように見える「ゴミ」ですが、全ては一筋に繋がっていることがわかります。姿形は違っても、「ゴミ」の始まりは血液です。血液が化けて気体から液体、そして固体となって様々な形質の「ゴミ」を造っていくのです。

ここまでわかれば、あとは単純明快ですね。

「ゴミ」の原料は血液精分だったわけですから、そこにある初期・中間・終末段階までの「ゴミ」を全て溶かして、今まで辿って来た道を元の血液精分まで逆戻りさせればよいわけです。つまり可逆分化です。

それができれば、後は脳がそれを過剰精分であると判断して体外へと排泄します。ですから施術直後の尿量は増え、尿が出る勢いも良いようです。

【図-13】「ゴミ」の可逆分化修復過程の考察(参考)

体内における「ゴミ」の可逆分化修復還元過程

このようなことは西洋式医学でも解っているのですが、和医術のような便利な手段が、西洋式医学にはないのですね。それは仕方のないことで、それでよろしいのです。医療を利用する側の人々が、「医療=病院(西洋式医学)である」という認識は偏り過剰であることに気付き、頭を切り換えればよいのです。

この世の全てのものにオモテとウラがあるように、医療にも表と裏、右と左があって、その二つを一つにしたものを医療として認識すれば、もっと幅広い病域が、もっと簡単に治せるようになると思うのです。

以上のような「ゴミ」の一筋の全容がわかれば、病気に慌てふためいたり、恐怖したり、取り越し苦労して痛い目に合ったりすることもなくなるでしょう。どの段階であっても、その「ゴミ」を消せば、体の機能は正常に戻り、自然と慢性病は治っていのです。

和医術は、これら慢性病の根本原因となっている「ゴミ」を消す医術です。

和医道医術と「ゴミ理論」は、時代の人体イメージを塗り替えるものであると考えます。

自然は「一事は万事」、人間は「一事が万事」
全ての変化は「万事は一事故え也」

3-3,自然現象の中に見る「ゴミ」が消えていく過程

私たちの身の回りに普通にある様々な自然現象の中に、体内の「ゴミ」の変化を思わせる光景がたくさんあります。

以下に「ゴミ」が血液に還元するまでの過程、つまり「ゴミ」が消えていく過程をイメージするのに役立ちそうな現象を二つ取り上げてみました。

まずは「太陽と雪」の関係です。

※「薬波エネルギー」に関しては和医術とは何か?をご参照ください。

3-3-1, 「薬波」は太陽、「ゴミ」は雪の如し

私たちの身の回りに普通にある様々な自然現象の中にも、「薬波エネルギー」が体内の「ゴミ」に与えている変化を思わせる光景がたくさんあります。

2013年の始め、東京でも雪が降り、8cmほど積もりました。その翌日の残雪に、体内での硬化固形物の状態とよく似た光景をみつけ「これなんだよなー!」と思い、写真にとりましたので見て頂きましょう。

ゴミは雪の如し(人とのコラボなり)自然に降り積もった雪を、人の都合で雪かきした後の写真です。

つまり、雪と人のコラボレーション作品ですね。人体内の「ゴミ」も、実は「ゴミ」と人とのコラボレーション作品で、人体の動きによって筋膜層に出来上がったものです。

大・中・小の硬度の低い玉(ぎょく)とゴミ粒子が深く混在して留まっている様子とよく似ています。ひょっとしたら「最悪の骨化もあるかもしれない…」といったところですが、病院での検査器機の画像ではまだ判断できない段階だと思います。

人それぞれ筋肉量や筋肉の形・骨の形は異なり、人それぞれゴミの溜まりやすい場所も異なります。親からの遺伝もうかがえますが、腰痛などはその骨格構造が原因ともなっています。姿勢等の癖や、スポーツなどで特定部位を酷使することもゴミの形や質に変化を与え、「玉(ぎょく)」や「玉道管(ぎょくどうかん)」へと成熟することにもなります。


ゴミは雪の如し(骨化)

写真のアスファルト表面を骨膜だと考えてください。

アスファルトにへばりついた氷を、スコップなどではぎ取ろうとしてもなかなかうまくいきません。そんな時は熱湯をかければきれいに取れるのですが、人体の場合は熱湯をかけたらヤケドしてヒドいことになりますね。

人体の場合は和医術の「薬波エネルギー」で消すのが一番ですし、私は他に方法を知りません。

なお、レントゲン・CT・MRIで脊柱の画像を撮った場合など、硬石灰骨化と骨化形成過程の部分は確認できると思いますが、上部の散乱ゴミは確認しにくいでしょう。


ゴミは雪の如し(玉道管の形成)
あぜ道のような玉道管(ぎょくどうかん)の風景です。


ゴミは雪の如し(散乱ゴミ)
背中や腰、臀部などに発生した疲労素・脂肪などの変質した物資が浅く散乱している様子によく似ています。症状としては軽度、あるいはまだ発症していない状況です。


ゴミは雪の如し(初期症状発症)

症状が出はじめていて、悪化傾向にある時期の「ゴミ」の状態とよく似ています。


大地にあった水液が水蒸気となって天空に舞い上がり、ある層に達して固形物の雪となって舞い降りる。そこからさらに雪のドラマが始まります。氷結して固い氷となり路面にへばりつくモノ。玉になったモノ。帯状に連なったモノ。

同じ雪なのに、形質はまったく異なってしまいました。しかしいずれどれもまた同じ元の大地の水液に戻っていきます。

それを可能にしているのは、太陽の光と熱に他なりません。

木陰となった場所ではなかなか水液に戻れませんが、陽光の射すところでは早々に還元されていきます。

我々が肉眼で直接見ている世界も、科学者達が顕微鏡で見ているミクロの世界も、宇宙を望遠鏡で見ているマクロの世界も、それぞれ形質は違って見えていますが、そこには連続性があり、同じ法則と秩序が働いています。我々人間もその中に生かされているわけです。その意味からしても、体内にも、体外にも類似した現象がたくさんあります。

体内に置き換えて言えば、大地にあった水液とは「血液」、雪や氷は「ゴミ」にあたります。

和医術の「薬波エネルギー」は太陽の光熱と同じ働きなのです。
まさに「一事は万事、一事が万事、万事は一事」なのであります。

二つ目は料理。

3-3-2,「薬波」は料理用火力の如し

「薬波エネルギー」だけでなぜ、多種多様な「ゴミ」、無限ともいえる程の組み合わせから出来ているゴミ物質(体内毒素)が溶解し、血液に逆戻り還元できるのか?

今度はスープ作りに置き換えて考えてみましょう。

まずズンドー鍋を用意して、血液の元の材料となる病気を放り込んでいきます。タマネギ病、大根病、ニンジン病、ごぼう病、豚骨病。さらに牛肉病もほうれん草病も入れてしまいます。お水を入れて火にかけてグツグツ煮込んでいきましょう。時折水加減も確認し、撹拌しながらグツグツ煮込んでいきます。さて一番先に形が消えるのはどの病気でしょうか…?

いずれにしても煮込んでいくうちに全ての材料である病気の形は消えて、鍋の中は液体だけの美味しいスープに変わりました。時間差こそあれ全て形が消えたわけです。たった一つ、火力というエネルギーで目的が達せられました。

火力は「薬波エネルギー」で、鍋と注水や撹拌などの番人は病者の体に当ります。「薬波エネルギー」で病気の元を溶かせば、後は全て病者の体が自動的に処理してくれます。

このようにして萬病は消えていくのです。

3-4,一目瞭然!素人だからわかる外反母趾に見る「ゴミ理論」

体内の「ゴミ」を消せば体の機能は元気に戻ります。戻るほかないのです。反論される方もおいでになるかも知れませんが、これが事実です。

それを可能にしたのが新しい形の「和の医術」であり「ゴミ理論」です。「和の医術」たる「和医術」は「ゴミ理論」と不離一体であり、極めて次元の高い、されど簡便で実用性の高い医術です。

そして実は、どの角度から見ても科学的医学的思考に基づくものであります。

「ゴミ理論」が誰でもよく理解できる症状の一つに外反母趾があります。これは実際に自分の目で「ゴミ」の状態を見ることができ、自分の手で「ゴミ」を触ることができるよい例です。直接、自分の感覚で確認できるのですから、疑いを差し挟む余地はないでしょう。

次は、その外反母趾の解説をしておきましょう。

3-4-1,外反母趾の原因物質は「ゴミ」の最終段階

ご存知の通り、外反母趾は足の母指の付け根の関節が外側に「く」の字に曲がる症状です。この状況は誰が見ても異論はなく、百人が百人、「く」の字に曲がっていると認めることが出来ます。

「く」の字に曲がった関節に触れてみると硬く盛り上がって固まった物体があることは、これまた誰でもが確認できることです。この物体が外反母趾の原因物質であると誰もが理解出来ていますね。

実際は原因物質は局部の硬化物だけではないのですが、そのことは後述するとして、見て、触れて、誰もが認識できるその物体の正体は何なのか?

これは医科学の目、つまりレントゲンやMRIで調べてわかっています。体内の石灰質の老廃物が集まって凝固し、硬く骨化したものだと医科学的に判明しています。

この硬く骨化したものが「ゴミ」なわけですが、「ゴミ」の形態としては最終末段階である「硬骨化」にあたります。(【図-1】「ゴミ」の形態 参照)

この「骨化」部分が無くなれば、関節の曲がりは解消され、母指は元に戻るのだということは、誰もが認めるところだと思います。

病院では、「骨化」部分のみを溶かす薬物はありませんから、骨切りなどの手術で対処していますが、和医術では、手気術で「骨化」をきれいに溶かして消してしまうことができます。徐々に元に戻っていく状況を段階ごとに目で見て、手で触って、感覚で感じて確認していくことができるわけです。

「ゴミ」の最終末段階である「硬骨化」を消して外反母趾が治せるということは、足、膝、股関節、臀部・腰・腹部・背骨・肋骨・手・肘・肩・鎖骨・首頸部・顔面・頭部における一般整形外科系のほとんどの不具合や疼痛は解消できるということになります。

「ゴミ」が悪さをしている部位や「ゴミ」の成熟段階の違いによって様々な病名がついているわけですが、病名が何であれ、慢性病を引き起こしている原因物質は全て同じなのです。

多くの現代日本人の慢性病に対する認識は、進む科学的分析がもたらす知識偏重の風潮に惑わされています。本書最後にある「よろず病は扇の如し」をよくご覧下さい。それぞれの慢性病に、それぞれ別の原因物質があると考えるのは日本式の考え方ではありません。

この慢性病発症の真実である「ゴミ理論」は、その道の専門家よりも、むしろ一般素人の方々のほうが素直に納得できるのかも知れません。何故ならば、思わず「そうだ!」と腑に落ちるのは、知識ではなく感性によるものですから。

3-4-2,病院の外科手術で本当に治っているのか?

続いて先ほど述べました、「実際は原因物質は局部の硬化物だけではない」という点について補足しておきます。

外反母趾の場合、病院においては「く」の字に曲がった関節部分の「硬骨化」のみを注視しているようですが、実は、関節に「硬骨化」をつくり、「く」の字に曲げてしまうほどの「固形ゴミ」が、足首までを含めた足全体に甚大に存在するのです。

それらの「固形ゴミ」全部が外反母趾の原因物質です。それが足全体を締め上げ、筋肉を細らせ、足のアーチを崩し、血液循環を阻害し冷えをつくり、足全体を病ませています。

ですから、病院での治療方法である局部の外科手術のみで外反母趾を本当に治すことが出来ているのか、私は疑問に思っています。

そこで和医術の目で見た外反母趾の「ゴミ」実況を解説しておくことにします。

3-4-3,和医術における外反母趾の原因物質の実況

足の第一趾の母指骨の根元は、足首に向かって中足骨と関節でつながっていて、その中足骨の根元は楔状骨という骨と関節でつながっています。

母指骨の根元だけでなく、この中足骨と楔状骨との間の関節周辺にも石灰骨化が見受けられ、足首にかけての足全域に「玉」と「玉道管」が形成され、それが石灰骨化した部分を中心として網の目のように張りめぐらされています。

この「玉」と「玉道管」が筋組織を縛り上げるために、背足部(甲側)は外側から石灰骨化部分に向かって引き締められ、足の正常なアーチは無くなっています。ベタベタ、ドタドタと歩行するようになるのはこのためです。

一方、足底側をみてみますと、「く」の字に曲がった部位、つまり中足骨と母指(第一基節骨)の接合部の足底側は、これまたとても複雑な「ゴミ」集積状況となっています。2、3、4、5指の同じ部位の「ゴミ」と繋がっていますし、背足部(甲側)の中心部である石灰骨化部分とも繋り、連携しています。

さらに背足部(甲側)の石灰骨化の中心部は足首の「ゴミ」とも繋がっていて、異常は足首にまで及んでいるのが実態です。

ですから和医術では当然足首までの足全体に施術し、「ゴミ」を消し、元の正常な状態に戻していくことになります。

このように症状を引き起こす原因物質である「ゴミ」が局部だけに留まらないことは、一般整形外科系の病気はもちろん、その他全ての慢性病に関しても同様に言えることです。

4,「ゴミ」の客観性について

さてここで、私が和医道和医術の一番素晴らしいところだと思っている点について、述べておこうと思います。

私は最近よくこう言うようになりました。

和医術は手気療法の分野においては、過去を塗り替えるような技術に進歩した、と。

それはどういうことかと言えば、

不可視を可視化できる技術になった

ということです。

つまり客観性を持つことができたのです。

客観性ある診断力は西洋式医学に勝るものは地球上にはありません。

そこで、和医術は、西洋式医学の診断に従って、診断箇所にある「ゴミ」を消していく医療手段となったのです。

これは医療的には大変な変革だと私は思っています。西洋式医学の理論の進歩に応じて、和医術も進歩していくことになるでしょう。

このような技術は、私が目標を持って努力を重ねて達成できたものではなく、たまたま偶然に出来上がったものでした。今まで思いもしていなかったことが、一瞬のうちに現実のものとなってしまっただけのことです。

ですから、自分の功績として他者に豪語するような気分にはなれないのですが、素晴らしいことですので、是非皆様に知っておいていただきたいのです。

西洋式医学での電子顕微鏡、レントゲン、CT、MRI、などの機器を使って確認できる「ゴミ」は、そのまま物質の形として体内にあるということについては、誰でも疑いなく認めるところです。同様に、和医術で確認している幅広い層の「ゴミ」も、私が見ているのとまったく同じ形・質・量で体内に存在しているのです。

これは人々の医療の価値観が進歩すれば、西洋式医学において明らかとなることですが、今その「ゴミ」の存在を客観的に見ようとすれば、以下の方法が考えられます。

(A)人体解剖をする。
和医術で確認しているそのままの形・質・量の「ゴミ」が発見できるでしょう。(B)人体解剖確認が出来ないのであれば、皮膚直下にある固形「ゴミ」を分解して皮膚表面に浮き上がらせ、それを分析する。
浮き上がったものが皮膚に付着している垢(あか)ではなく、体内の固形老廃物であることは、医科学的にその精分分析すればわかることです。

(B)は施術中によくやることです。

施術を受けている患者さんは、実際にこのような出来事が起こっていても、なんら感覚はありませんから、半覚醒の状態で気分よく寝ておられます。

そこで

「○○さん、ここに触れてみてください」
と起こして、触っていただきますと、当然のごとく答えます。

「アレ〜ッ、これ何ですか?
垢ですか?でもザラザラしてるけど…?」

「これが体内にあった固形ゴミなんですよ。
分解中に皮膚表面に浮き上がらせたものですよ」

施術でなにがどう変化しているのかを説明するために、このように体内の「ゴミ」を患者さんにも見える形にして確認していただくこともあります。

今や体内の「ゴミ」は、見ようとすれば観えるものになりました。硬いとか軟らかいとかという漠然とした不可視なものではなく、可視化できるものであったことがわかったのです。

人間の本能は文明の進歩によって退化するのではないかと思われがちですが、使わないと鈍感・鈍麻に成り下がるだけのようです。能力はそのまま水面下に残っていますから、どんどん使って磨きをかければよろしい。決して退化はしていません。これでは何が自由か、何が幸せか?本当に面白い現象です。それにしても人間力というものはまったくスゴイものです。

幸島の「百匹目の猿現象」の実験で広く一般に知られるところとなった共時性という現象がありますが、人間のうちの誰かが本能の意識に開眼すれば、人間の意識は高級であり高度ですから、同じ興味を持つ人は誰もが開眼してしまうのです。日本式和医道医術の本当の素晴らしさは、この点にあると私は考えています。これについても実験してあります。

5,「ゴミ」は薬物では解決できない

和医術が確認できる中間段階および終末段階の「ゴミ」は、薬物では解決できません。

手術でも取り切れない部位局所はたくさんありますし、薬物による副作用や手術後の後遺症なども問題となるところです。

例えば尋常性乾癬(じんじょうせいかんせん)という皮膚病があります。これは遺伝的要因と心的ストレスが誘因となって「ゴミ」を出し、症状となって顕われていると思われますが、本当にやっかいなものです。

患部の赤くなった皮膚の直下を観察してみますと、そこにはパウダー状の「ゴミ」が集積していて、炎症を起こしているのがわかります。和医術でその「ゴミ」を一部分消すと、その部分は炎症が治まり、皮膚はきれいになります。

病院で処方されるステロイドホルモン剤を塗布しても同様に皮膚はきれいになるのですが、長期間塗布し続けると逆に汚くなる副作用が出て来ます。これは「ゴミ」を消す為の薬剤の継続使用が正常細胞の崩壊を促してしまった、ということでしょう。

尋常性乾癬の場合のパウダー状「ゴミ」は、「ゴミ」の内では最も軟弱な部類です。その軟弱な「ゴミ」消しに使用する薬物ですらこれだけの副作用が出るのですから、もっと堅固に造り上げられた「ゴミ」を消そうとする薬物など、考えただけで恐ろしいものです。

ですから、萬病の根幹となっている中間段階および終末段階の「ゴミ」は薬物では消せないと、断言するのであります。

さて、手術の場合も考えてみましょう。

太い血管、胆管、尿管、気管、消化管などの「内腔ゴミ」に関してはかなり進歩して、安心して受けられる時代になりましたので、利用する価値は大です。

しかしその他の部位では、神経や血管が過密しているため手術したとしても「ゴミ」をきれいに取り切ることは難しいようです。【図-9】のように筋肉組織に絡み付いた「玉道管」などは取り切る事は不可能だと思います。

ですから整形外科系の機能性疾患の場合、手術ではなく薬物療法を選択することが多く、鎮痛剤などで痛みを抑制し続けるしかないのでしょう。鎮痛剤も必要に応じて短期に使用するには便利で問題ありませんが、長期使用しますと、新たな「ゴミ」を生み出すことになっていきます。

病気の原因を探す場合、西洋式医学においては初期段階の「ゴミ」を分子・細胞レベルで分析して、原因物質を特定します。そしてその一つ一つに対応するために、数限りない薬物が開発されていきます。それは人類の進歩にとっては必要なことですから、今後も続くことでしょう。

しかし、もう片方には日本式和医術のような手段・方法論も存在しているのです。

慢性病においては、どんな病名が付けられていても、それは単に「ゴミ」が神経系・血管系の働きを妨げ、遮り、押さえ、止めて混乱させている結果の症状です。

「ゴミ」は多岐にわたって存在していますから、「ゴミ」の量が多ければ、いくつもの病名を持つこともよくあることです。西洋式医学的においてそれぞれの病名に対して複数の複雑な原因が発見されたとしても、和医術においてはまずは「ゴミ」を消せば、症状も、複雑に見えている原因も解消していきます。

病気の根幹、つまり要(かなめ)となっている「ゴミ」は人間の「手」と「心」で解消できるのです。

その現場を、私は数多く見て参りました。

●佳秀の「ゴミ」講釈(1)
 よろずの病は扇の如し

病気の原因は複数に見えても、本当の原因は扇(おうぎ)の要(かなめ)に隠れた「ゴミ」にある
その要(かなめ)に隠された「ゴミ」を消せば、
西洋式医学的に原因と思われているモノも消え、症状も消える

よろずの病は扇のごとし、要を消せば全てが消える

扇(おうぎ)、
はじめは一本、唯一 (ゆいつ)なるモノ、神の子、元気なもの
要(かなめ)を開けば
ひとつふたつと病因の矢が見えてくる
もっと開けば、無窮(むきゅう)のごとし
限りなし

これを見て、聞いて、感じてはあれやこれやと心動き出で
心配したり恐怖したりとあおぎ立てては波風立てるもよし
それが人間の常(つね)なれば仕方がない

されど夏の頃ならいざ知らず
夏を過ぎ、冬となりてはかなわぬわい
かなわぬ頃になったなら
扇(おうぎ)の要(かなめ)をくるりと逆に回して
元の唯一に戻すがよかろうものを

さすれば全ては消えうせて
元の元気に戻れるものをよな
アンニ、アンニ

生命機能のバランスは見た目の一直線バランスでは均衡ならず。
見えざる螺旋バランスであるが故なり。

螺旋バランスは360°回転して、一歩前進して、調和戻って、調和バランス整いて、その結果として見た目にも一直線均衡バランス、整うなり。

これぞ見えざる生命機能の道筋なり。自然の道理なり。

2014-09-24 | Posted in 和医術ってなに?