科学者は実用的な高次医・科学をめざせ!

萬病よろずの川の渡り方私は今、時代の要請を感じています。
私が和医術をここまで進化させ、「ゴミ理論」を確立させることができたのは、この時代に必要あってのことだと受け止めています。

今の時代の日本人に必要あって誕生したものであろうと感じるのです。

ですから今後、この「ゴミ理論」を解剖学的により具体的かつ詳細に呈示していこうと考えています。

それは「ゴミ理論」の有効性を医科学の目で実証して、医科学と同じ土俵に乗せ、医科学の専門家の方々に体内の「ゴミ」処理問題に真剣に取り組んでいただきたいからです。

科学の為の科学も否定するものではありませんが、実用的な科学・医学分野にもっと目を向けて、今の西洋式医科学を、国民の信頼に足る西洋式高次医科学へと進歩させていただきたいのであります。

1,現代人の人体は「ゴミ」で溢れている

さて、まずは和医術「ゴミ理論」の活用が現代日本人にとってなぜ今必要だと考えるのかをお話ししていきましょう。

私はこの十数年間、数多くの方々の体内の「ゴミ」を診て参りました。何らかの病を抱える方々の体内はもちろん、厄介な形質を持った「ゴミ」で溢れています。

では元気な人々の体内には「ゴミ」はないのかというと、これがそうでもありません。

特に日本人の若者においては、健康であるように見えても多くの「ゴミ」を溜め込んでいて、早晩、何らかの慢性病の引き金に手がかかるのではないかと思われる方々が多いのが実情です。

ところが、5、6人ではありますが東南アジア諸国の方の体を診せていただいたところ、なんとどなたも非常に「ゴミ」が少ないのです。日本人の若者とも比較にならない程、健康な体でした。

このことは、現代日本人は老いも若きも、日常的に多量多様な「ゴミ」をつくり、溜め込みながら生きている、ということを示唆しています。

太平洋戦争前に生きた人々の体内「ゴミ」は、東南アジア諸国の方々同様、現代人に比べればずっと少なかったはずです。今となっては比較検証はできませんから、証明できないことではありますが、現代の社会環境をみれば当然のこととして導き出せることだと思います。

つまり、物質が氾濫し、物事が煩雑になると共に、「ゴミ」の量が増え、その形態も多様になるのは、社会環境も体内環境も同じことのようなのであります。

2, 自ら造った「ゴミ」は自ら解消せねばならないことは、体外環境も体内環境も同じである

近年の社会環境を見てみますと、例えば原子力発電所の問題があります。

原発再稼動に関しては賛否両論あるようですが、廃止するか推進するか、一般国民の立場としては判断のしようがないのが本当のところでしょう。いずれにしても現実問題として既に多くの放射性廃棄物である「ゴミ」を地球上に造り出してしまっているのですから、この「ゴミ」を処理する方法を見つけることが必須です。

さらに、原発その他の社会環境「ゴミ」は社会の需給バランスで増減する「ゴミ」ですから、本質的には消費する側の国民ひとり一人の選択の問題でもあるわけです。

自分たちが自ら造り出してしまった「ゴミ」ですから、中和分解できる技術を自ら獲得しなければならないはずです。

時代が逆行することなどあり得ないのですから、人間が想像し創作したモノは、人間が自在ならしめなければなりません。自在ならしめられないとしたら、人間の心の姿勢と努力のあり方に問題があると考えるべきでしょう。

同じことが体内環境にも言えます。

時代は前進していきますから、口から入れる物も心が感じるストレスも社会環境に応じて多種多様になり複雑になっていきます。

そのような環境の中で、ひとり一人が選択して体に取り入れたモノが、最終的には細胞から使用済み廃棄物「ゴミ」として放散されます。

過剰であったり、異質であったりして処理されることなく体内に蓄積することになった「ゴミ」は、やがて何かが引き金となり機能性を狂わす慢性病の根本原因となり、時には死に至る病気の原因ともなっていきます。

今の日本において病人・半病人が増えているのは、社会環境ゴミ同様、体内に増えた「ゴミ」の仕業です。

3,「ゴミ」処理問題解決は日本人の使命である

現代の医科学者も、一般国民も、このゴミ問題から目をそむけています。

原発の放射性廃棄物や人体の病気などは、まさに文明進歩の負の側面です。負の側面にある原発ゴミやその他環境ゴミ、人体内の「ゴミ」といった「ゴミ」処理問題の解決は、原爆被爆、原発事故、慢性病の蔓延などを経験している日本人の使命であろうと考えます。

科学的という言葉に安心を覚え、信用し、信頼をおいているのが今の大多数の日本人の意識ですから、国民に生命の安全を指導し誘導することは、医科学者でなければできません。

ですから医科学の専門家にこそ、体内ゴミ問題に真摯に取り組み、解剖学的「ゴミ」について科学的解答を出してほしいのです。そうすれば国民の納得するところとなりますし、医科学もより安全でより実用的なものへと進化するものと考えます。

体内の「ゴミ」処理に関する認識が深まれば、慢性病はもはや恐れることのないものとなるでしょう。

参考までに和医道が教えるところを一部抜粋しておきます。

個々の人間が生きる上において
その生涯のうちには病気を含めて必ずや二度や三度
自分では越えられそうにもないと思われる程の壁が立ちふさがることがある

しかし各々、
越えられない壁など与えてはもらえないのが自然の法則だ

越えられないのは、
己が心ができないモノを掴んで放さないからだ

できないと思うのは心の感性の思い込みであるから、
想いの位置と角度を変えることができれば
スルリと乗り越えていけるものなのだ

さらに、思想家であり食文化研究家(マクロビオティックの提唱者)である桜沢如一氏はこう言っています。

表大なれば 裏もまた大なり

私自身は科学などチンプンカンプンで手も足も出ませんから、日本の科学者の皆様の感性に期待してやみません。

感性こそ、発明・発見の入口であり、源泉となるものです。

世界一長いといわれる日本の歴史の中に幾多も繰り広げられてきた創作技術の感性は、私たち日本人の無意識の中に遺伝情報として埋蔵されていると考えられますし、そう信じています。

「気」という言葉は日本語の中にも様々に配置され使われています。誰しも、無意識の中では感じているのです。

その「気」を科学することが、必ずや「ゴミ」処理問題のヒントに繋がると考えます。

●なぜ硬固形ゴミが非物質である気エネルギーで消えるのか?

●なぜ痛みなく傷ひとつ付けずに、気持ちよく、副作用なく、危険性一切無く「ゴミ」を消すことができるのか?

今この時代に、日本人である私が「気」の力でこのような表現ができるようになったというところに、大自然からの警鐘と進歩への大きな示唆を感じるのです。

何故ならば、日本は「尊び、和して、結ぶ」感性を持った唯一の先進文明国家だからです。

欧米社会は「克服思想」を見誤り、「征服・服従思想」に足を踏み入れました。同じ頃、日本人は科学技術を学び、その科学自体はよかったものの、うわべの形だけの欧米思想までモノマネしている有様です。

我々日本人が日本人の心を取り戻して、科学技術に調和の磨きをかけ提供して差し上げれば、欧米人には元の克服思想の純粋さが戻って来るはずです。

「ゴミ」処理問題は、日本古来脈々と受け継がれてきた感性と、最先端の知性を兼ね備えた日本の科学者でなければ解明できないはずだと考えます。

そのための入口となるのが古来変わること無き「和医道心身統一」であり、「心身透見」であります。潜在意識を無意識である魂で従えるということになるわけですが、詳細とその方法につきましては、『和医道概略』もしくは『和医道入門』に譲ります。

佳秀の「ゴミ」講釈(2)
西洋式と日本式の交合で萬病よろずの川を渡ろう
西洋式と日本式の交合で萬病よろずの川を渡ろう

慢性萬病の問題は「ゴミ」問題だ

西の医学の知識だけでは切れ目があって一筋の「ゴミ」の道筋、繋がらず、不完全な「ゴミ」地図帳となっている

況(いわ)んや、飛び飛びの飛び石となっているではないか
この飛び石と飛び石の間抜けが落とし穴となっていて「ゴミ」が隠れているではないか

なんとこれが萬病を完解できないという原因になっているではないか

ならば東の佳秀の知恵で、渡りづらい西の飛び石を基礎土台にして「萬病の地」と「元気の地」の両岸に一本の気の丸太の橋をかけ、病める者達を難なくお渡しし、病める者達を元気にしてご覧にいれよう

頭の中の偏った医療観に気付いて、その誤った認識を解き放ち、埋め合わせればよいだけのこと

今の西洋式医学が日の本の足元に気付く時、日本式西洋式医学は世界の中心医療へと更に進化することだろう

国民、安心の時代がいずれやってくる
その第一歩は大和の国民から始まるのだ

2014-09-25 | Posted in 和医術ってなに?